フォトウェディング当日、ホテルの窓から見えたのは、私たちが最も恐れていた、灰色の空と、アスファルトを静かに濡らす冷たい雨だった。天気予報が外れることを、あれほど強く願った日はなかった。楽しみにしていた旧居留地の石畳も、青く輝くはずだったメリケンパークの海も、きっと今日のこの雨の中では、その魅力を半減させてしまうだろう。完璧な一日になるはずだったのに。メイクをしてもらいながらも、私の心はどんよりとした空模様と同じように、重く沈んでいた。そんな私の不安を察したのか、隣で準備をしていた彼が、そっと私の手を握ってこう言った。「大丈夫だよ。雨の神戸も、きっと素敵だよ。どんな天気でも、君が隣にいれば、僕にとっては最高の一日だから」。その言葉に、私は少しだけ、ほんの少しだけ、顔を上げることができた。 雨脚は、撮影が始まる頃になっても弱まる気配はなかった。プランナーさんとカメラマンさんは、私たちを励ますように、「雨の日の撮影は、実はすごくドラマチックで素敵なんですよ」と微笑んでくれる。そして、私たちのために用意してくれていたのは、一本の大きな、白い傘だった。旧居留地に降り立つと、雨に濡れた石畳は、まるで黒い鏡のように周囲のガス灯や建物を映し込み、昼間とは思えないほど幻想的で、しっとりとした雰囲気を醸し出していた。白い傘の下、二人でそっと寄り添いながら歩く。パチパチと傘を叩く雨音だけが響く静かな街並みは、晴れた日には決して見ることのできない、私たち二人だけの特別な世界だった。カメラマンさんは、水たまりに映る私たちの姿や、雨粒がきらめく街灯の光を巧みに利用し、まるで古いフランス映画のワンシーンのような、芸術的な写真を次々と生み出していく。韓国フォトウェディングで重要な選び方のポイントを不安でいっぱいだった私の心は、いつの間にか、この雨という名の演出家が生み出す、予期せぬ美しさに魅了されていた。 午後は、予定を変更して、雨でも撮影が楽しめる屋内施設へと向かった。そこは、アンティークな調度品が置かれた、美しい洋館だった。窓の外では雨が降り続いている。窓辺に二人で腰掛け、雨に煙る庭を眺めていると、自然と会話は少なくなり、静かで、穏やかな時間が流れた。それは、いつも賑やかに笑い合っている私たちにとっては、少し新鮮な時間だった。お互いの存在を、ただ静かに、深く感じ合う。カメラマンさんは、そんな私たちの邪魔をしないように、遠くからそっとシャッターを切っていた。きっと、晴れていたら、私たちは外に出て、もっと活動的なポーズで写真を撮っていたに違いない。でも、この雨があったからこそ、私たちは自分たちの内面に目を向け、これから夫婦として歩んでいくことの重みや喜びを、静かに噛みしめることができたのだと思う。 そして、撮影の最後。雨が少しだけ小降りになった夕暮れ時、私たちは再び港へと向かった。空はまだ厚い雲に覆われていたけれど、雲の切れ間から、奇跡のように、ほんの数分間だけ、黄金色の夕日が差し込んだのだ。雨上がりの澄んだ空気の中で、光の筋が海面をキラキラと照らし、私たちの目の前には、まるで天からの祝福のような、幻想的な光景が広がった。その神々しいほどの美しさに、私たちは言葉を失い、ただ手を取り合って、その光景を目に焼き付けた。その瞬間を切り取った一枚は、私たちのフォトウェディングアルバムの中で、最もドラマチックで、希望に満ちた写真となった。 あの日、もし晴れていたら、私たちのフォトウェディングは、きっと誰もが羨むような、明るく、華やかなものになっていただろう。しかし、私たちの心にこれほど深く、そして鮮やかに刻まれたかどうかは分からない。予期せぬ雨という試練があったからこそ、私たちは彼の優しさに救われ、プロのチーム力に支えられ、そして、二人で力を合わせて困難を乗り越えることの尊さを、身をもって学ぶことができた。思い通りにいかないことさえも、二人でなら楽しめる。雨の神戸が教えてくれたのは、フォトウェディングの本当の意味、そして、これからの夫婦生活において、最も大切な心構えだったのかもしれない。アルバムを開くたび、私たちはあの日の雨音と、雲の切れ間から差し込んだ、一筋の光を思い出す。そして、どんな天気の日も、二人で笑い合っていこうと、静かに誓うのだ。

重たい後遺症が残りましたので、生活は全面的に変りました。

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夫の父親が脳梗塞で、最終的に身体障碍が残り、いわゆる寝たきりの状態になりました。また、言語障害および嚥下障害も残り、胃ろうを造設しました。だんだんと認知障害も生じてきて、夫の母親のことすら、うまく認識しているかどうか、わからない状態になりました。慢性的な状態ですので、急性期病院からは早々に退院を迫られ、慢性期の病院に入院させていただくことになりました。慢性期の病院からもいつ退院を迫られるか気が気ではありませんでしたが、重い床ずれもできてしまったためか、退院を迫られることもなく、他界するまでずっと病院で過ごすことになりました。そのような義理の父ですので、重たい障害が残り、それまで自宅で、とりあえず、基本的なことは自分自身で行うことができていたのですけど、もちろん、そういったことは全くできなくなり、すべては看護師さんのお世話になった生活に変りました。何一つ能動的に行うことはできず、やがては意思表示すらできない状態で、生活は全面的に変わりました。ただ、ありがたかったのは、病院で看護師さんがすべてお世話をしてくださったことです。以前、不用品買取店が近隣にできたんです。持ち込みも可能なのですが、出張買取もしてくれるというので、お願いしてみることにしたんです。見積りに来た人も、若いけどとても礼儀作法ができている人で、悪い気がしませんでした。大きなプラスチックケースや要らなくなったテントやキャンプ用品など、計15個ぐらい出したんです。すると、見積りよりもかなり料金が高くとられました。変に思ってそのことを話せば、見落としがあったとか、サイズを間違えたとか、のらりくらりと言い訳をするんです。おまけに、キャンセルをしようと思ったら、1度トラックに乗せたから無理だというのです。これはさすがに腹が立って、そのことを近所の人に話すと、なんとその人も同じような経験があったのです。最近では、近所の人ともなかなか会話をする機会がなくて、こういうことがあっても、話さないんです。そうやって考えると、ご近所付き合いってけっこう大切なんだと思いました。確かに、ネットの口コミも参考になります。ですが、実際に利用するのって、やっぱり近隣の業者なんですよね。口コミだけではわからないこともあるんですよね。この事があってからというもの、どこかに頼む時には近隣の人の意見も参考にした方がいいと思いました。