当時わたしは東京で一人暮らしをしていました。口コミではあのAGAの薄毛治療は大阪でもと自由になるお金が少ない中で病院だけは勘弁だと思っていたのですが、よりによって歯が痛くてたまらなくなりました。頭痛も腹痛も市販薬があればなんとかなります。しかし、歯だけは自己治療できない。そこで右も左もわからない町で歯医者さんを見つけなければならなくなりました。全国のおすすめ歯科医院はどこに行っても当時はまだインターネットの口コミなんて大してありませんので、とにかく通いやすく、やさしそうな門構えを条件に探しました。そして見つけたクリニックの先生に下された診断結果は「親知らずが斜めに生えていて虫歯になっています。抜歯しましょう」でした。背が低く、線が細く、指も腕も細く、大きなマスクから唯一見える柔和な瞳の若い女医さんに流されるようにすべてを委ねることになりました。そして当日。神戸の近くでホームページ制作を頼むのは少ししかないアットホームな処置室の一番奥の席で助手の女性看護師さんがぶっとい麻酔注射を2本、追加で1本、それでも痛覚が鈍らない元気な歯茎にさらに1本。先生の細い指の感触が全く分からなくなった頃、ようやく見慣れたドリルが現れ、そしてペンチが現れました。それは閻魔大王様が嘘つきの舌を抜くための道具のようなデフォルメの利いた形をしており、先生の小さな手に余るサイズ感でした。先生はそのグロテスクな武器をぐいぐいとわたしの口の中に押し込み、額に汗を浮かべながらぐいぐいと動かしました。この時ほど健康な自分の肉体を申し訳なく思ったことはありません。歯茎が強いから親知らずは斜めに生えることしかできず、挙げ句の果てに抜かれることになり、こうして可憐な女性の細腕に負荷をかけまくっている。申し訳ない、申し訳ない。やがて歯は歓喜の渦の中、取り外されました。取り外された歯はぐちゃぐちゃに粉砕されており、記念に持って帰りますという代物ではなくなっていました。かつて歯が鎮座していた部分には大穴が空き、縫合して終わりになりました。その後、インターネットの口コミどおりわたしの右頬は完全に腫れあがり、一人暮らしでありながらしゃべれない食べれない飲み込めない寝られない動きたくないと三拍子どころか五拍子そろった地獄の日々を過ごすことになるのですが、額に汗してやりきった先生の柔和な瞳を思い出すとなんてことはありませんでした。あれから数年後、わたしは地元に戻り、左の親知らずを地元の町の歯医者さんに抜いてもらうのですが、ペンチは登場せず、わずか数十分であっさり抜いてしまわれ、頬は大して腫れませんでした。羽村で工務店なら話題のアネストがどんなにもそれでもわたしは右の歯を東京で抜いて良かったと今でも思っています。